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2006年11月21日

How can I tell you 1

産業革命は木綿工業から

簡単な道具による工業(工場制手工業をふくむ)から、複雑な機械を使う工場制機械工業への技術革新のこと これによって大量生産が始まり、資本主義が発展し、社会・政治も大きく変動した。

イギリスでは、18世紀中ごろから木綿糸をつむぐ紡績の機械化が進み、良質の木綿糸が大量に生産されるようになった。この間、ワットが改良した蒸気機関が動力として実用化された。一方、布を織る工程の機械化はおくれたが、カート=ライトによる力織機の発明で解決された。このように、木綿工業から起こった産業革命は、製鉄業や交通機関などにおよんでいった。

力織機が発明される前はどのようにして生地が織られていたのかといいますと 毛織物工業の工場で布を織る職人であったジョン=ケイ(1704~64頃)が、1733年に「飛び杼」を発明しました

 当時の織布は、織工が一方の手で杼(ひ、横糸を縦糸の間を通すための織機の付属物)を縦糸の間に投げ込んで、もう一方の手で受けていたので、織布の幅は織工の両手の幅で決定され、広幅の織布を織るには1台に2・3人がつかねばならなかった。

 そこでジョン=ケイは、織機の中央のひもを引くと横糸用の杼がバネで左右に飛ぶ「飛び杼」を発明し、これによって速度は2倍になり、広幅の布を織ることも可能になった。この発明によって糸が不足するようになったので、今度は優れた紡績機の発明が促されたようです

 クロンプトン(1753~1827)は1779年にミュール紡績機を発明した。この優れた紡績機の発明によって、糸が生産過剰となったので、織物機の改良が必要となった。そうした中で織布部門での重要な発明がカートライトによってなされた。力織機の発明である。

 カートライト(1743~1823)は、牧師でありながら機械の発明に熱中し、1785年にアークライトの水力紡績機にヒントを得て力織機を発明した。力織機には初め馬の力が利用されたが、後には蒸気機関が使用された(1789)。力織機は、飛び杼の3.5倍の能力といわれ、これによって綿織物の生産量は著しく増加しました


このように世界で最初に産業革命を経過したイギリスは、先進工業国として、世界各地から原料を輸入し、良質で安価な工業製品を世界中に輸出して世界市場で圧倒的な地位を占め、「世界の工場」としての地位を獲得した。

 イギリスは、産業革命の技術的成果の独占をはかり、1774年に「機械輸出禁止令」を出し、他国や植民地への機械輸出や技術者の渡航を禁じた。その後、機械輸出禁止令は1825年に一部が解除され、1843年には全面的に廃止された。

 ナポレオン戦争の終了後、イギリスが機械の輸出を一部解禁すると、ベルギー・フランスなどのヨーロッパ諸国やアメリカでも産業革命が始まった。

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タワーブリッジ 


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